プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ね用と、多くの人々が既に手を着けています。そこで、……わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いて……。(ルカ1:1−4)

 正典聖書66巻の著者の中でただ一人の異邦人著者ルカは、自らの福音書を、「わたしたちの間で実現した事柄について」と書き出した。
「わたしたちの間で実現した事柄」とは、主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受け、荒れ野で四十日四十夜悪魔の試みを受けた後、郷里ナザレの会堂で行なった礼拝でお読みになった聖句、イザヤ書61章1節以下に要約される。
 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」までを読まれると、主イエスは巻物を係りの者に渡し、こう言われたのである。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した!」。
 詳しいことはその時に触れるとして、ルカはこの預言者イザヤの言葉が「わたしたちの間で実現した」と言っているのである。

 この序言で注目したい表現がもう一つある。それは、イエスの宣教、彼の死と復活について、「最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおり、物語を書き連ねようと、多くの人々が手を着けています。そこで…わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書」く、と言っていることである。
 ルカはここで十二使徒について、彼らは「目撃した初めの証人」であり、後に(復活後に)「御言葉の〈奉仕者〉(=宣教の言葉に携って仕える人々)になった」と言っている。つまり、主イエスと行動を共にし、その証人となったこと(使徒1:21−22)によって初めて彼らは宣教し得たのである。しかも宣教の内容は彼らが証人として実際に経験した事柄に限られるのである。使徒たちは自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の舌で味わったことだけを語ることを許されたのである。それが「御言葉の奉仕者」たる者の資格である。

 ルカはここで、使徒たちの証言を聞いた人々がいると語る。キリスト教最大の伝道者パウロもその一人である。パウロはコリントの信徒への手紙の中でこんなことを言っている。「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった」。つまり、パウロは直接、ナザレのイエスに会ってはいないのである。
 ルカの証言によれば、彼はパウロの弟子として、パウロの伝道旅行に途中から参加している。つまりルカはパウロよりも更にキリストの出来事から遠くにいたのである。そのルカが、キリストにおいて実現したことについて「順序正しく書く」と言っているのである。ある研究者がこんなことを言っている。「集会は第三福音書の記者に、いわば自分の口を見出した。それゆえ、われわれはここで福音宣教の歴史の新たな段階に入る。これまでは、イエスの使徒たちと弟子たちが、個人的体験に基づいてイエスを神のメシアとして証言したが、われわれはいまやこの福音書において始めて、集会そのものが『証人の雲』(ヘブライ12:1)に囲まれて語るに至るのを聞くのである。」

 「われわれはここで福音宣教の歴史の新たな段階に入る」。ルカが復活者イエスに繰り返し語らせた言葉がある。「モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」(24:44。27)である。
 主イエスの宣教、彼の死と復活から旧約の新しい理解が生じたのである。律法という支配的な局相のもとではなく、救済史的局相のもとで旧約を読んだのである。つまり旧約の中にキリストの出現に先行する神の啓示、主の到来を指し示す啓示を読みとったのである。そのことによって全く新しい旧約解釈への門が開かれたのである。
 「新約の至る所で、神の新しい時の中に置かれているという感情の高揚が表現されている」(フォン・ラート)。わたしたちも、共観福音書に聞きながら、全く新しいことの実現に対する驚きの高揚に浸りたいと思う。それがこの〈ハーモニー〉でめざすところである。

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