プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


最新記事


月別アーカイブ


 六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。(ルカ1:26−27)

 大天使ガブリエルがガリラヤの町ナザレに住むマリアのところに遣わされて「神の母」になると告げた、いわゆる「受胎告知」は、キリスト教芸術の題材として多くの芸術家を刺激してやまないテーマである。ルカがここに記した物語は、聖書の中で最も美しい物語の一つであると考える信仰者は多い。
 救い主誕生を告げるこの物語は私たちを、その存在の深みにおいて慰めてくれるのである。多くの信仰者がこの物語から立ち上がる力、生きる勇気を与えられてきたのである。ここには多くの芸術家たちの創作意欲をかき立てる輝き出る美しさがある。それは現代の醜悪さの対極にある。

 ある朝、朝食をとりながら見ていたニュースに、内閣府が行なった国民の意識調査に関連するものがあった。それは少子化対策の一環として1992年以来行なわれているアンケートにまつわるものであった。それによれば、結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考えている女性が42.8パーセントに達したという。中でも20〜30代では6割を越える女性がそう考えていると。この結果に対してキャスターは、女性の「生き方の多様性が進んでいる」との識者のコメントを紹介した。
 サムエルの母ハンナのように子どもが欲しくてもできないのではない。子どもは必要ない!というのである。そう考えている女性が若い世代ほど多いというのである。
 それは、女性の「生き方の多様性」という理由だけでは説明できない。先進諸国の中で出生率が上がっている国があるのである。子どもは必要ない!という女性が増え続けている私たちの国で今、何が起きているのか。この国はどこへ向かっているのか。

 改めて言うまでもなく、子どものいない社会には将来も希望もない。より事柄に即した言い方をすれば、私たちの社会に希望も将来もないから、子どもは必要ないとする女性が増えているのではないか。
 アウシュヴィッツを生き残り、その体験を『夜と霧』に著したフランクルが、戦後、急速な復興をとげていたときに語った言葉がある。「いまは、かつてないほど多くの人たちが生きがいを見失い、生きることの無意味さ、つまらなさに悩んでいる。・・・これこそ現代を象徴する苦悩です。」一見豊かにみえる社会で生きがいを見出せないでいる。自分自身の未来を信じられない人が増えているという。
 フランクルはアウシュヴィッツの経験の中でこんなことを記している。「彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落した」。もしかして今、私たちの国はアウシュビッツ化しているのかもしれない。アウシュヴィッツでは、ある一定の身長に充たない子どもは必要ないと、真っ先にガス室に送られた。私たちの国で、子どもは必要ない!とする女性たちが増えているのである。

 このことを思い巡らしていたとき、劇作家マルセルが「笑いは勝利の歌である」(『笑いついて』)といった言葉を思い起こした。マルセルは、自分の優越性を笑い、ひとの劣等性を笑う二種類の極端を結合する完全な笑いがある、という。そして、美しい例を挙げる。それは若い母親が赤ん坊を眺めて笑う笑いである。それは優越感や劣等感からの笑いではない。「笑うのは彼女がこの子供を創造したからであり、しかも世界中で一番美しい子供—それはもう議論の余地はない―を作ったからだ」。
 私が牧師として最初に遣わされた任地で、胎内に宿った生命を「異物」と感じる母親たちが現れたという、ある産婦人科の言葉を聞いたことがある。そして今、異物として生まれ育った子どもたちが大人になり、子どもは必要ない!と言う。ここには決して笑うことのできない恐ろしい闇がある。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」とき、マリアが宿す子は「世界中で一番美しい」子、この子は闇に輝く光となる。

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | ホーム |