プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 わたしの魂は主をあがめ、
 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
             (ルカ1:46、47)
 
 マリアは今、喜びに満ちあふれて神を誉めたたえている。聖霊によって神の子を宿し、母となったマリアが(1:35)、ここで表現した満ちあふれる喜びを理解するために注目したいことがある。それは、いま私たちが現に生きている世界が、母性を喪失した世界であるということである。左近淑は、私たちの国が母性を失ったのは敗戦後の高度経済成長によると語った。「50年代にはじまる経済成長によって奪われたものは母なるものとしての自然であり、ふるさとであり、文化であった」と。
 ここに気になる証言がある。キューブラ・ロスが『死ぬ瞬間』の冒頭に記した言葉である。この本は、死を宣告された末期患者が、死を受容してゆく過程を臨床的に解明したものであり、がん告知に道を開いた書物である。
 ロスはこの本の冒頭で「最近の大きな社会変化」に触れる。「過去何十世代かに疫病で倒れた人の数は大変なものである。嬰児、幼児の死は頻繁で、家族のどのメンバーかが幼い時に死ななかった家庭は極々少なかった。しかるにここ数十年の間に医学は大変に進歩し、予防接種の普及でほとんど根絶された病気は数知れない。・・・ところがそうした、急性な生命に関わるような小児科関係の病気は減ってきて、精神身体的障害、適応困難、行動異常などの子供の患者が次第に増えてきている。医師の待合室には情動問題を抱えた患者が多く見られるようになった」と。

 〈ホスピタリズム〉という言葉がある。乳児院や養護施設などで、母親との関係を持たずに育った子供たちに見られる、各種の病状を言い表わす医学用語である。19世紀から20世紀の初めにかけて、乳児院に収容されている乳児の、身体上の問題に対して使われたのが最初である。乳児院の乳児の死亡率や罹患率が高く、栄養を十分に与えても身体の発育がおもわしくないとか、あるいは、栄養障害を起こし易い、ということがあった。ドイツの小児科医がこうした症状には、精神的なものが深く関連していることを発見し、「精神的飢餓」という言葉を作り、栄養や感染防止のみでなく、精神的看護の必要性を説いたのである。つまり、精神的な看護が欠けると、栄養物の消化吸収に障害を起こし、病気にもかかりやすいことを指摘したのである。
 その後、ホスピタリズムの精神面の研究も進み、乳幼児期の体験がその後の人格形成に、重大な影響を及ぼすことが明らかになる。1951年、世界保健機関は『母親の養護と精神衛生』の中で、「精神的健康には、乳幼児期の暖かい緊密な母親(または母親代りの人)との持続的関係が必要である」とし、「母性的愛情」の重要性を指摘した。
 キューブラ・ロスの言葉は、かつて乳児院や孤児院で特徴的であったものが、今や一般化しつつあると言っているかのようである。もしかして、私たちの社会全体が乳児院化し、孤児院化しつつあるのかも知れない。子供たちは今、「精神的飢餓」状態の中で育っている。

 平井信義は『失われた母性愛』でこんなことを言っている。「問題行動児の生育史をたどってみると、三歳までの母親とのスキンシップに大きな欠けがあることが共通して認められる」。そして、「母子関係が修復されると子供の問題行動も徐々に消えていった」と。平井は、「母性愛の喪失とか、母性分離、母性剥奪、母性形成不全」などといった言葉を用いて、問題の所在を明らかにする。「子供が変わったのではなく、母親が変わってしまったのである」と。
 私たちの社会は、失われた母性を取り戻せるのか。このことについて一つの重要な示唆を与えているのが、受胎告知を受けたマリアである。クリスマス物語の中でも最も美しい、感動的な物語である。そこには輝き出る美しさがある。多くの芸術家たちを引きつけてやまない「美」がある。そして、その美は、多くの信仰者に深い安らぎと慰めを与え続けてきた。
 この受胎告知からあふれる喜びは、子供が母親に対して感謝と畏敬と献身的な愛において感じる感情に似ている、と言った人がいる。それは、いわば、母親の胸に抱かれて憩う子供の安らぎである。
 聖霊によって子を宿したマリアは、喜びにあふれて神を賛美する。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
 わたしは、このマリアのあふれんばかりの喜びに、私たちが今現に生きている世界の闇を引き裂く光があると考えている。

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