プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた最初の住民登録である」(2:1−2)。

 ルカは、主イエスの誕生を当時の政治的状況と密接にからめて描いている。
使徒言行録5章には、こうした住民登録が誘因となって暴動が起こったことが報告されている(5:37)。ローマは人口調査を行うことで、ユダヤ人に対する支配を確立し、税を徴収したのである。それはユダヤ人にとって、先祖伝来の権利と聖なる地に対する攻撃であった。人口調査が引き金となり、騒乱が起こったとしても少しも不思議ではない。
 一世紀のパレスチナを「煮え立つ釜」と形容した人がいる。特にガリラヤは、革命家と黙示的思想家の巣窟であり、ナザレも例外ではなかったと。このために「革命的メシア主義と最初のクリスマス」という表題で一章がさかれた。しかし、ルカがここで描く人口調査の記事には、そうした政治的キナ臭さはどこからも読み取ることができない。
 なぜルカは、主イエスの誕生をローマによる住民登録と結びつけたのか。実は、アレクサンダー大王からアウグスティヌスまで、つまり古代から中世への転換期は、経済的、社会的、宗教的に、先例のない動揺と変化の時代であったといわれる。ギリシアの宗教と哲学は東方に広まり、中央アジアにまで達した。そして、東方の宗教、特にエジプト、シリア、小アジアの宗教はギリシア・ローマ世界に浸透し、多数の回心者を得ていた―ユダヤ教もそうした宗教の一つであった。それは「党派主義と熱狂主義、東と西の宗教的交流、商人や兵士が新しい思想を家庭に持ち込み、新しい信仰を試してみる時代」であった。主イエスの生涯と働きは、この具体的な歴史的文脈の中で見られなければならない、というのがルカの信仰であり、神学ではないのか。

 では、ルカが主イエスの誕生を、ローマが行った「最初の住民登録」という具体的な歴史の文脈の中で描いた意図は何か。これとの関連で注目したいのは、ルカが1章で〈イエス〉をイスラエルが待ち望むダビデ的王として描いていることである。
 実は、ルカが描く主イエスの幼児期物語は、洗礼者ヨハネの誕生で結ばれる1章と、主イエスの誕生から始まる2章では、質的とも言える違いがある。両者とも一貫してイスラエルの希望、メシアの誕生を描いているが、2章に入るとそのトーンが変わる。メシア待望に陰りが差すかのように、ソプラノからベースの響きに代わる。
 陰りとは、なぜ、ダビデの王座を継ぐメシアが王宮ではなく、飼い葉桶に眠るのか。なぜ、天の軍勢は社会のリーダーたちにではなく、社会の底辺にいる羊飼いたちに現われたのか。なぜ、シメオンはその腕に抱いたイエスに、母マリアが剣で心を刺し貫かれる痛苦を見たのか、という〈なぜ〉である。もっとも、私たちはこの「なぜ」を細心の注意を払って口にしなければならない。注意を怠ると、この「なぜ」で、同情的イエスがカルバリーのキリストに取って代ってしまうからである。

 イエスは敵の手からイスラエルを解放するダビデ的王ではないのか。イエスはイスラエルの暗黒時代に神が解放者として送られたメシアではないのか。なのに〈なぜ〉、イエスは飼い葉桶に布にくるまって眠るのか。ルカはメシア・イエスに何を見たので、このように描いたのか。この問いを前にする時、私たちの中にあの聖画が浮かび上がって来る。マリアがその腕に抱いているのは、生まれたばかりの嬰児イエスではなく、十字架から降ろされたキリストという聖画〈ピエタ〉である。「マタイとの若干の相違はあっても、ここでもまた、すでに十字架が赤子の上をおおっている」と言った人がいる。

 ルカが最初のクリスマスで描き出したのは「革命的メシア主義」ではなく、赤子の上を覆う十字架なのである。より正確には、ルカは十字架のキリストを眼前に見ながら、イエスの誕生物語を描いているのである。然り、救世主誕生の喜びの中に、十字架のキリスト、〈ピエタ〉を描き込んだのである。それは見る者に、天にも昇る喜び、死ぬほどの悲しみを体験させる。
 これが、教会が祝うべきクリスマスである。それは巷のクリスマスとは質的に異なる。そうであるのに、教会のクリスマスに巷のクリスマスを見るのは、「なぜ」だろう。

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