プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもったことが明らかになった」(マタイ1:18)。

 マタイ福音書1章18節以下には、まだ一緒になる前に、婚約者(妻)マリアが身ごもっていることを知ったヨセフが悩み、苦しみ、そして「ひそかに縁を切ろうと決心した」ことが伝えられている。このひとり苦しむヨセフに主の御使いが夢に現われ、こう告げるのである。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」これが、福音書記者マタイが伝える「イエス・キリストの誕生の次第」である。
 実は、ヨセフの夢に御使いが現れ、語った内容は、当時のユダヤ人社会ではよく知られた、モーセの誕生物語と類似している、と言われる。福音書記者たちと同時代を生き、ユダヤ教側からあの時代を記録したヨセフスは、『古代史』の中で、モーセの誕生について次のように記している。「・・・神は眠っている彼のところに歩み寄った。・・・この男の子は・・・ヘブライの民をエジプト人の強制から解放する」と。
 これから判るように、マタイは、ユダヤ人たちがよく知るモーセの誕生物語に似せて、イエスの誕生物語を描いたのである。しかも「聖霊によってみごもった」と記すことで、イエスをモーセ以上の存在としたのである。

 ところで、この段落には、訳に関して幾つかの表現がある。18節後半、「二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」の「明らかになった」である。口語訳は、「身重になった」と訳している。また、カトリックのフランシスコ会訳は、「身ごもっていることがわかった」と訳す。そしてフランシスコ会訳は、「わかった」という訳をめぐっては「種々の説がある」として、かなり詳しい註を欄外に付している。「わかった」は直訳すれば「発見した」であり、だれが発見したのかについては、家族、特にマリアの母であると解する者もいるし、ヨセフであると解する者(ヒエロニムスなど)もいたといい、しかし、今日受け入れられている説は、マリア自身とする、と。「本文はマリアが懐胎に気がついただけでなく、それが聖霊の働きによるものであることも知っていたことをさしているようだし、このことはマリアだけに示されるべきものだからである」。

 こうした訳に比べると新共同訳は、まるで読者の疑問を払拭するかのような訳になっている。「身ごもっていることが明らかになった」と。ある注解者は、「マタイは、ユダヤ教の側からマリアに対してかけられていた嫌疑もおそらく知っていた」と解説する。主イエスの系図に名を記された四人の女性たちを、「性的不道徳の嫌疑を受けている婦人たちの名を挙げることによってマタイは、イエスがマリアから生まれたという出生のいかがわしさを放免しようとしたのではないか」との釈義は、ユダヤ教側の批判を背景にして語られたものであると。

 18節後半の表現でもう一つ注目したいのは、「聖霊によって」とある一句である。先ほど触れたように、この一句でマタイは、主イエスをモーセ以上の存在として描いたのである。しかし、ここで言われているのはそれだけではない。マリアは聖霊によって身ごもった!のである。
 実は、古代オリエント世界では、人間の父親なしに、神々と人間の女性との間に生まれた英雄や偉人伝説が広まっていた。たとえば、ギリシアの主神ゼウスからはヘラクレスやアレクサンドロスといった英雄たちが、またアポロ神からはピタゴラスやプラトンといった賢人が生まれたとの言い伝えがある。古の人々は、優れた力や知恵をもつ人々の背後に神的なものを感じたのである。似たような物語が聖書にもある。創世記6章に、「神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした」と。そして聖書記者はこの出来事を次のように結ぶ。「当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って生ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった」と。
 マタイが、マリアはイエスを「聖霊によってみごもった」と記したのも、こうした一連の英雄物語の一つなのか。マタイがこの後に記す主イエスの道は十字架へと通じている。しかも主イエスの十字架の死には英雄的なものは何もない。それは自己犠牲の最たるものではない。人類の罪を贖う死である。主イエスの道は並み居る英雄たちとは異次元の道なのである。

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