プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。……また、……アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、……八十四歳になっていた」(ルカ2:25、36−37)。

 ルカは、ヨセフとマリアがユダヤの掟に従いイエスの「聖別」のために神殿に詣でた時、シメオンとアンナという二人の高齢者が絡んだ出来事を伝えています。それは「老人たちの聖誕祭」でした。
 巷に賑わうクリスマスは、子供や若者たちのお祭りといった感があります。しかし、教会で祝うクリスマスは、老人たちが主役なのです。このことを深く考えさせる発言が目にとまりました。宗教経験を心理学の視座から解明しようとしたウィリアム・ジェームズの言葉です。彼は『宗教的経験の諸相』で、心理学者の中には、宗教を性欲の倒錯と考える者がいるが、「とくに優れて宗教的な年齢は、むしろ、性生活の発酵が過ぎてしまった老年期である」としたのです。

 老い(老年期)は「優れて宗教的な年齢」である。ジェームズのこの視点は、聖書の見解と重なるのです。聖書はその典型として「信仰の父」アブラハムの経験を伝えるのです。
 アブラハムが始めて神を知ったのは「七十五歳」でした。七十五歳になるまで、アブラハムは神を知らずに生きていたというのではありません。御言は、カインの末裔レメクが七十七倍の復讐を誓ったすぐその後に、カインが殺したアベルの代わりに、神はアダムとエバにセトを授けたとあります。このセトからエノシュが生まれるのですが、「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」(4:26)というのです。
 アブラハムも主の御名を呼んでいたのです。そうであるのになぜ、七十五歳の時に、今初めて神の言葉を聞いたような書き方がされているのでしょうか。それを解く一つの鍵がヨブの経験にあります。ヨブは、「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きて」いたと紹介されています。その人が、ある日突然、すべての財産を失っただけではなく、十人の子供を失い、そして健康まで失ったのです。この不幸の中で、ヨブは自分の生まれた日を呪います。「その日は闇となれ」と。ヨブは、「光、あれ」と言って世界を創造した神を暗に否定したのです。
 ヨブはその時、神も佛もないという経験をしたのです。そして神に激しく抗議するのです。これほどの罰を受ける大罪は犯していない、と。そうであるのに、なにゆえ私はこれほどの苦しみに甘んじなければならないのか、神よ、答えて下さい!とヨブは神に激しく迫ったのです。ヨブを慰めに来た三人の友人たちとの間に激しい議論が起こりますが、納得できる答えを得ることはできませんでした。そして、すべての議論が出尽くした時、嵐の中から神がヨブに語りかけたのです。その時のヨブの経験が次のように記されています。「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」(42:5−6)。
 七十五歳の時、アブラハムが経験したのもこのヨブの経験ではなかったでしょうか。アブラハムの妻「サラは赴任の女で、子供ができなかった」(11:30)とあります。ユダヤでは子供のいない「人間は死者に等しいもの」とみなされました。当時の考え方に従えば、彼らは死んだも同然で、生きていると呼ばれるに値しなかったのです。そのアブラハムに神が現れてこう言われたのです。「あなたの子孫にこの土地を与える」(12:7)。

 アブラハムがその腕に子を抱いたのは、それからなお四半世紀後、百歳の時です。なぜ神は、アブラハムに子を与えると約束してから、それを実現するのに25年もの年月を必要としたのでしょうか。み言葉は、アブラハムが人間の力で子をもうける可能性が完全に消えるのを待ったと告げます。神の約束から10年後、アブラハムはエジプトの女ハガルとの間にイシュマエルを設けたのです。それ以後13年の間、神はアブラハムに沈黙されたのです。アブラハムはこの神の沈黙で知ったのです。老いの中で、もはやなにも望み得ない現実を前にして、「わが恵み、汝に足れり」という神の恵みを。老い(老年期)が「優れて宗教的な年齢」であるといわれる意味がここにあるのです。この間のアブラハムの経験をパウロは次のように要約しました。「恵みによって・・・彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ」(ロマ4:16、18)たと。ルカがシメオンとアンナの二人の高齢者で描いたのもこの信仰なのです(2:25、38)。

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