プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」(マタイ2:1−2)。

 マタイはここで、メシアの誕生を告げる星に導かれ、はるばるユダヤの地にやって来た東方の博士たちと、そのことに不安を覚えるヘロデを好対照に描いている。
 マタイが伝える主イエスの幼児期物語を読んで思うのは、ルカが伝える主イエスの幼児期物語のような明るさ、輝きはマタイにはないということである。もっとも、ルカもただ明るいだけではない。洗礼者ヨハネの両親には子どもが生まれなかった。それは当時の人々の考えでは、死んだも同然とみなされていたのである。また御子の母となるマリアは、未婚で懐妊した。それは石打の刑に処せられるべき重罪であった。さらに、最初のクリスマスを祝った羊飼いたちは、民の数に入らない社会の底辺を生きていた人々であった。神への呪いを口にしても少しもおかしくない。「この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う」(イザヤ8:21)とあるようにである。しかし、ルカはその人々が神を賛美する者へと変えられたと語ったのである。

 マタイはどうか。この後マタイは、誕生したばかりのイエスを殺そうと画策するヘロデを描き、そして二歳以下の男の子が皆殺しにされたことを描く。マタイが伝える主イエスの幼児期物語全編を、こうした深い闇が覆っているのである。言い換えれば、わたしたちはまるで受難物語を読むように、主イエスの降誕物語を読むのである。しかも喜びに溢れて読むのである。この喜びはどこなら溢れてくるのだろうか。御言に聞きたいと思う。

 私には、東方の博士たちの物語を読むたびに思い起こす一つの言葉がある。ダニエル・ベルが『21世紀への予感』を書き出した言葉である。ベルは言う。「占星術の雑誌を眺めていたら、面白い話が載っていた。『先行き不透明のため、千里眼協会の次回の会合は延期します』というのである。」
 占星術、即ち千里眼協会の仕事は、先行きの不透明さのなかで、見えない光を見ることにあるのではないか。その占星術でさえ、光を見いだせないほど、今、世界を覆う闇は深いという認識から、ベルはこの本を書き出したのである。ベルがこの本を出版したのは1991年のことである。それ以後も、世界は暗さに暗さを増しているように思えてならない。東方の博士たちが見た光は、現代の闇をも引き裂く光なのか。

 マタイはこの物語をこう書き出す。「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」
 厳密な天文学的計算の助けを借りて、この星が現れたのは紀元前7年とはじき出した人がいる。それによれば主イエスの誕生日は紀元前7年4月2日になる。因にルカは、主イエスの誕生を総督キリニウスの時に行なわれた住民登録と関連づけている。総督キリニウスの時に行われた住民登録は紀元6/7年とされる。つまり、両者は大きく食い違う。そもそも、こんにち当然のこととして祝われる12月25日のクリスマスは、元来、太陽神を祀る異教徒の祭りであったことが分かっている。
 この食い違いは何を意味しているのか。マタイもルカも始めから、主イエスの誕生年月日を確定するということには全く関心を示していないということである。では、この物語を著したマタイの関心は何か。
 実は、この物語に影響を与えたと考えられる一つの史的出来事がある。紀元66年、ペルシアの博士たちがティリダテス王と共に、星による予言に基づいて、皇帝ネロに世界の王として敬意を表するためにやって来て、他の道を通って戻って行ったことである。マタイが東方の博士たちの物語に、この皇帝ネロにまつわる風評を利用したことは十分理解できる。
 マタイはこれによって、黄金時代を招来する偉大な王は皇帝ネロではなく、ナザレのイエスであるとしたのではないか。キリスト教がローマの支配下にある地中海世界へ乗り出そうとした時、キュリオス(主)はローマ皇帝ではない、十字架で死んで、甦られた方であると語った大胆さに驚きを禁じえない。

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