プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトへ逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』」(マタイ2:13)。

 ヘロデの殺意を逃れてエジプトに下る聖家族のエジプト逃避行に関しては、キリスト教の古い歴史をもつ《コプト教会》が豊かな伝承を伝えている。〈コプト〉とは、ギリシア語でエジプト人をさす「アイ・グプティオス」から転訛した言葉である。ギリシア語でエジプト人をさす言葉が、いつの頃からか、エジプトでキリスト者をさす言葉になったのである。彼らは自分たちをコプトと呼ぶことで、イスラム教徒のエジプト人から鋭く区別したのである。そして何よりも、自分たちこそが地中海世界における原始キリスト教信仰の、もっとも純粋かつ正統な継承者であるとの誇りを示したのである。

 聖家族の伝承は、このコプト教会の間に伝わる、幼子イエスのエジプト避難物語である。物語は、東方からやってきた三人の博士たちが、幼子イエスを拝んで帰ったあと、猜疑心の虜となったヘロデが、幼子殺害を決意する場面から始まる。この緊急事態に、主の御使が夢でヨセフに現れ、「幼子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい」と言ったのである。
 ヨセフはその夜のうちに、幼子とその母を連れてエジプトへ旅立つ。マタイ福音書2章に伝えられた、この聖家族のエジプト逃亡物語は、行数にしてわずか数行である。この数行をコプト教徒たちは実に壮大な長編ドラマに拡大し、親から子へ、子から孫へと語り継いだのでる。
 彼らの描く聖家族の旅は、一頭のやさしいロバの旅として描かれる。ヨセフがロバを曳いている。ロバの背には、マリアが幼子イエスを抱いて揺られている。背景には、ナツメヤシの木が茂り、遠くにナイルの川面が光っている。この聖画を、コプト教徒たちはこよなく愛しているのである。
 旅は、パレスチナから地中海沿いに南下し、葦の海を渡り、いったんナイル川のデルタ地帯に抜けたあと、そこから再び南下してエジプトの聖地ワーディ・ナトルンを通り、そこからあとは、ナイル川の西岸を、どこまでも南へくだる旅となる。行く先々で、聖家族にまつわる奇跡物語が残されている。それは、片道だけでもほぼ一千キロの道のりで、そのような一大逃亡伝承を、コプト教徒は語り継いできたのでる。

 コプト教徒とは何者か。古代末期から中世への移行期に、まるで降って湧いたように、砂漠へあふれでたおびただしい数にのぼる世捨て人がいた。時代は、4、5世紀、すでに、キリスト教は、ローマ帝国の国教として公認され(313年)、地中海沿岸の諸都市には、キリスト教会の聖堂が、次々と建立されつつあった。改宗者が続出し、真新しい教会の聖堂は、信者の群れであふれた。様相は一変したのである。キリスト教会は、多くの富と政治の特権を獲得し、急速に、世俗化への道を歩みはじめたのである。砂漠への逃避は、まさに、こうした状況で起こったのである。理由は単純である。キリスト教徒の間に、教会の世俗化に抵抗し、それを嫌悪する者たちが、少なからずいたのである。彼らこそコプト教徒なのである。
 わたしは、私たちが今、現に生きているこの時代に、コプト教会に伝わる聖家族の逃亡伝承を読むことの意義はきわめて大きいと考えている。現代のキリスト教会も、4、5世紀のコプト教徒たちの時代に勝るとも劣らない世俗化が、しかも教会の世俗化が進んでいるからである。「同情的イエスがカルバリーのキリストに取って代わってしまった」ほどにである。時代は、教会の世俗化に抵抗し、それを嫌悪する者たちを必要としている。現代に聖家族の一大逃亡伝承を語り継ぐ者を必要としているのである。
 マタイが聖家族の逃避行で描くのは、神の民イスラエルがエジプトから解放されて、約束の地に導き入れられる故事をなぞる旅である。ヴェスターマンは言う。私たちが手にする旧約聖書は千年もの時があずかっている。それは新約聖書において達成された目的に至る長い旅であった。その日とは、人の子が十字架にあげられた日であり、この一日は、そこに至るまでの長い道程を離れては理解することはできないと。
 そして左近淑は、旧約聖書を崩壊期の思想であるとした。「崩壊の時代〈の中で〉、真正面からそれ〈を〉取り上げ、それ〈について〉神学的に考え、時代を生き抜いたのが旧約聖書である」と。先人たちが切り開いた道を歩み続け、わたしたちもキリストが十字架に上げられた一日を理解したいと思う。

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