プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた」(マタイ2:14−15a)。

 聖家族の逃避行を現代に語り継ぐ。これとの関連で注目したいのは、コプト教徒たちの聖地は、日常の生活空間から隔絶した砂漠の中にあったということである。この特徴は、ポリス(都市国家)の内部に設定された聖域と比較してみると一層はっきりする。城郭都市では、いずれも聖域、神聖空間は都市の中心部に位置し、それをとりまくように円形状に生活空間が広場を構成している。バザール(市場)があり、軍事施設があり、居住区があり、その外円を高い城壁が取り巻いているのである。これが、古代、中世における都市に限らず、人間の住む、都市というものの原初の姿である、と言った人がいる。言い換えると、共同体の中心に、神が存在するという観念が、すべてに優先するのである。

 この都市と神聖空間には、もう一つ別の型がある。シルクロード沿いに点在する中央アジアのオアシス都市は、城郭都市のそれとはまるで違う。僧窟や石窟など、神聖空間とおぼしきものは、すべて都市の外、城壁の外部につくられている。そこはあたり一面、都市から隔絶した無人の岩山砂漠である。シナイ半島の岩山やヨルダン川の渓谷、レバノン、シリア国境の岩山砂漠、死海周辺の洞窟など、そこにはいずれも紀元4、5世紀から7、8世紀に遡るキリスト教の洞窟僧院があった。そして、この都市から隔絶し、孤立しているかに見える聖域が、実は、都市の守護神的役割を果たしていたのである。ここでは、初めに聖地ありきである。そして、その聖地に向かって旅をする巡礼者たちの群れがあり、そうした巡礼者たちのコロニーとして、オアシス都市が発達したと思われる。

 わたしは、神聖空間が都市の外にあるこの型は、世俗化した社会を生きる現代人にとって、きわめて重要な示唆を与えていると考える。中世以降、ヨーロッパ諸国の古い街並では、教会は昔ながらの聖域、都市の中心部を占め、それをとりまくように生活空間が広場を構成している。しかし、世俗化の波に洗われて、その中心は空虚と化した。世俗化によって教会は、人々の生活の中心には位置しておらず、人びとの生活の場から離れた、いわば都市から隔絶した、孤立した聖域となったのである。
 この構図は、聖家族のエジプト逃避行が描き出した、神聖空間が都市の外にある型に通じる。そうであるがゆえに、神聖空間が都市の外にあるこの型は、都市砂漠に生きる現代人の魂のオアシスとなるのである。

 ヘブライ書の記者はこの秘義に満ちた祝福を次のように語る。「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
 ここに、私たちが毎週、都市砂漠という日常の場から、日常を中断して、非日常の場である教会、聖域、聖なる空間へとやってくる巡礼の旅の秘義がある。
 かつて都市の中心を占めていた神聖空間は、世俗化によって、空虚な中心と化した。こうした時代にあっても、聖地と都市の関係は、切り離すことはできないのである。否、切り離してはならないのである。私たちは、要するに人間というものは、聖なるものとの関係全体の中に自分が所属していると信じない限り、内面的にも、恐らくは表面的にさえも、生きることは不可能だからである。
 ここに、世俗化した社会にあって、コプト教会が築いてきた神聖空間とオアシス都市の構図が大きな意味を持つ。聖地とオアシス都市を結ぶ線は灼熱の砂漠である。この灼熱の砂漠のもつ意味が、世俗化の中で空虚な中心となった神聖空間で明らかになる。オアシス(日常という場)から聖地への移動の空間が砂漠であるということは、この巡礼の旅は、灼熱地獄の難行苦行であることを意味する。この難行苦行を、死出の旅と言い換えてもよい。巡礼者は、聖地にむかって、死に場所を求め、自らを葬るために家を出る。聖餐式は、その「死の固めの式」なのである。

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