プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいたヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった』」(マタイ2:19−20)。

 ここにはヘロデの殺意から逃れてエジプトに下った聖家族が、ヘロデの死を機に、再び「イスラエルの地」に帰ってきた経緯が語られる。これまで同様、この移動は、主の天使が夢でヨセフに現われたことによって起こる。
 ヘロデの死後、国は三人の息子たちに分けられた。ここに名を記された「アルケラオ」はユダヤの統治を引き継ぎ、しかも、もっとも恐れられた王である。ベツレヘムに帰ることを恐れたヨセフは、「夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町」に住むことになる。
 マタイによれば、かつて主イエスの両親はベツレヘムに住んでいた。その聖家族がエジプトへの逃避行を経て、ガリラヤのナザレに移住したことで、この物語は頂点に達する。この移動を経てイエスは、「ナザレの人と呼ばれる」ようになったのである。

 因に、主イエスの幼児期物語で重要な位置を占めるベツレヘムとナザレは、ルカでは反対になっている。ルカでは、ガリラヤのナザレが聖家族の生活の場であり、ベツレヘムは誕生の地として一時滞在しただけであるが、マタイでは逆に、ベツレヘムが生活の場であり、エジプトへの逃避行を経て、ナザレに移り住んだのである。どちらが史実なのか?を問うことに意味はない。マタイもルカも主イエスの伝記を書いているのではない。言い換えると、この場所の移動は、それぞれの神学的関心によって描かれているのである。
 では、マタイは、ベツレヘムからラマ、そしてエジプトを経てナザレへの移動で何を描いたのか。マタイでは、最初の2章を見ると、教会がいかに主イエスの独特さを表現しようと試みたかが分かる。系図は、主イエスが神によって約束されたダビデの子孫であり、同時に、アブラハム以来のイスラエルの全歴史をみたすものであることを描き出している。それに続く物語は、主イエスの中にモーセをも凌駕するイスラエルの救済者を見ている。言い換えれば、マタイは始めの2章において、イエスを見るべき「次元」を確かなものとしたのである。
 それはマタイが、聖家族のナザレ移住を、エジプトへの逃避行と同じ語句で描いていることに端的に表現されている。「ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ」という「引きこもる」は、14節の「エジプトに去り」の「去る」と同じ言葉である。
 しかもマタイはそれを、「預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった」とした。しかし、「彼はナザレの人と呼ばれる」に該当する預言者の言葉は見当たらない。そもそも、「モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方」(ヨハネ1:45)にとって重要なのは、ガリラヤのナザレではなく、「ユダの地、ベツレヘム」である(2:6)。

 ヨハネ福音書は主イエスの弟子の一人ナタナエルが言った言葉を伝えている。「ナザレから何か良いものがでるだろうか。」なのになぜ、主イエスは公の活動を始められると、「ベツレヘムの人」とは呼ばれないで、「ナザレの人」と呼ばれたのか。一体、ナザレとは、どういう土地だったのだろうか。
 一世紀のパレスチナは「煮え立つ釜」と形容され、特にガリラヤは革命家と黙示思想家にあふれ、ナザレも例外ではなかった、と言った人がいる。マタイが、イエスを「ナザレの人と呼ばれる」という預言の成就として描いたのは、イエスはユダヤ民族待望の政治的メシアである、ということか。確かに系図は、イエスが神によって約束されたメシア王ダビデの子孫であり、アブラハム以来のイスラエルの全歴史をみたすものであるとしている。また、それに続く物語は、イエスの中にモーセを凌駕するイスラエルの救済者を見ている。
 マタイはイエスを、ユダヤ民族が待望した政治的メシアとして描いたのか。マタイの意図が何であるかは福音書全体から見なければならないが、それは福音書の結び、大宣教命令に端的に語られる。十字架の死より甦られたイエスは十一人の弟子たちにこう言われたのである。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(28:18−19)。
 マタイが聖家族の場所の移動で描いたイエスを見るべき「次元」、それは十字架による世界統治なのである。

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