プロフィール

Author:川島隆一
1952年5月20日生
群馬県出身
教団小岩教会牧師


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 「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ4:15−16)。

 中世末期に強い光を放った信徒運動に「十字架神秘主義」がある。中世末期、キリスト教は老いて、色あせた宗教になっていた。それを若返らせたのが「十字架神秘主義」である。「キリスト教の若返りは、信仰が、キリストの十字架の比類なき独自性を知覚し、これに従いつつ、自分自身が異郷の状態、故郷喪失の状態にあることを真実の姿として実現する時にこそ、危険ではあるが開放的な現実になる」(モルトマン)のである。

 十字架神秘主義は、瞑想と崇敬によって、キリストの苦難へと身を沈め、キリストの苦難を追感し、また、それを自分の苦難と感じる宗教経験である。人は、自分の苦難において、あの「血潮したたる、棘にさされし主の御頭」(讃美歌136番)との交わりを、再び見出したのである。キリストの苦難へと霊的に身を沈めることは、十字架につけられたキリストとの霊魂の一致へと導いたのである。
 受難に対するこのような敬虔(信仰)は中世後期に、ヨーロッパのキリスト教を信ずる民衆の心を捉えた。民衆は、神的な天の主なるキリストを描いたビザンチンの図像と、世界の審判者としてキリストを描いた、皇帝のような図像ではなく、貧しくして十字架につけられたキリストを描いた図像、痛みと苦しみの現実については何ひとつ目を逸らすことなく見据える図像に捕らえられたのである。
 十字架刑の図像において、例えばイーゼンハイムの祭壇にかかっているそれのように、重要なのは単に新しい敬虔の芸術的な表現でなく、この時代においては、奇跡をもたらす図像であったということである。病弱者、不具者、不治の病人が、これらの図像の前につれてこられた。それを崇拝することによって彼らは、自らの窮状の軽減と治癒とを経験したのである。ここにあるのは、パウロが主の晩餐の制定句の後に記した信仰に通じるように思う。パウロは言う。「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。」(Ⅰコリント11:29−30)。
 ここで論議されねばならないのは、キリストの十字架像に、聖餐のパンとぶどう酒に奇跡的な治癒が存在しうるか否か、といった医学的な問題ではない。むしろ、神学的に重要なのは、そこで表明されている信仰である。この信仰の生命は、キリストが超人間的・神的な奇跡行者として治癒を行なうという点にあるのではなく、まさに、それと反対に、イザヤ書53章が証言するように、キリストが彼の傷と、彼の、人間の側から見て、無力な苦難を通して、わたしたちを助けるという点にある。つまり、苦難の神秘主義は、ひとつのキリストの真理を発見したのである。キリスト教がローマの公認宗教となって以来、老いて色あせ、その輝きを失っていたとき、人々は再び苦難の僕キリストに大きな光を見たのである。これは皮相な理解によって押しのけられてはならない。

 苦難し、十字架につけられた神は、なにゆえに、また、いかなる仕方で貧者と見捨てられた者との神になるのか。ヒポクラテスは、「対立物は対立物によって治癒される」ことを発見した。またシェリングは、「いかなる本質もその反対者においてのみ、愛は憎しみにおいて、統一は争闘においてのみ、露となりうる」とした。言い換えれば、神は、その対立物において、すなわち、神を喪失し、神に見捨てられた状態にいてのみ「神」として露わになるのである。神の恵みは罪人のもとで露わになるのである。
 神の神性は、十字架の逆説においてのみ露わになる! つまり、敬虔な人ではなく罪人こそが、義人ではなく義ならざる人こそがイエスを認識したのは、主イエスが恵みの神と御国とをこれらの人々のもとで啓示されたからである。神は十字架のキリストにおいて、神なき者、神に見捨てられた者によって認識されるのである。まさにこの認識こそが、わたしたちを神に対する対応者に、否、それどころか、第一ヨハネの言うように、「この世でわたしたちも、イエスのようである」(4:17)という、神に似る者となる希望をもたらすのである。

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